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洞爺湖町

2008北海道洞爺湖サミット

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What's洞爺湖町−洞爺湖町の歴史


【旧虻田町】


・1880年虻田村に虻田郡各村戸長役場を設置。虻田村・振苗村・弁辺村・礼文村を管轄。
・1882年振苗村を併合。



・1893年倶知安村(現在の倶知安町、京極町)を分村。



・1897年真狩村(現在の真狩村、留寿都村、ニセコ町、喜茂別町)を分村。


・1909年弁辺村(現在の豊浦町)を分離して虻田村役場を設置。



・1938年4月1日一級町村制施行。
・1938年10月1日町制施行し虻田町となる。

【旧洞爺村】






・1887年香川県より76名が大原地区に入植したのを開基とする。



・1895年数十戸の小作人が成香の600ヘクタールに入り、開拓に着手。現在の洞爺村の基礎ができる。



・1902年虻田村・弁辺村組合役場設置。二級町村制施行。




・1920年 5月5日虻田村から分かれて洞爺村が誕生する。

・1938年優良自治団体として、内務大臣表彰を受ける。


・1947年村議会議員選挙が行われ、初代公選村長が誕生する。

【洞爺湖町】


・2006年3月27日虻田町と洞爺村の新設合併により成立
もともと両町村は同一の村(虻田村。旧虻田町に相当)であったが、1920年に虻田村から洞爺村が分村された。86年ぶりに1つに戻ったことになる。

・2007年4月23日政府は、2008年の主要国首脳会議の開催地を洞爺湖町に決定。

有珠山噴火の歴史

・1663年(寛文3年)7月噴火
小有珠生成 付近の家屋が焼失、または埋没。死者5人

・1769年(明和5年)12月に噴火。火砕流発生。民家焼失

・1822年(文政5年)3月地震増加から4日目で噴火。その後火砕流が発生、1集落が全滅。死者・行方不明103人

・1853年(嘉永6年)4月地震が激しくなってから10日後に噴火。数ヶ月間、噴火が続き、この間に火砕流も発生。大有珠の溶岩円頂丘が生成された。

・1910年(明治43年)7月19日から地震が始まり、25日に爆発。
約45ヶ所の爆裂火口から土砂、岩などが噴出され、泥流も発生。家屋、山林、耕地に被害があり、泥流による死者1名。

・1944年(昭和19年)前年12月下旬より地震が始まり、6月23日噴火。7月上旬にも大量の噴石、火山灰を噴出し10月末までに数回の白髪を繰り返す。翌45年になっても土地が隆起し続け、後に「昭和新山」と名付けられたりした。死者1名。

・1977年(昭和52年)8月6日に有感群発地震が始まり、翌7日に軽石噴火。14日までに4回の大きな噴火を含め十数回にわたり噴火を繰り返した。
翌78年7月にマグマ水蒸気爆発が起き、10月には泥流発生により死者3名を出す。

・2000年(平成12年)3月31日西山山麓より噴火し、翌日は金比羅山より噴火し、全町民の清水・花和地区を除く97%が町外へ避難した。



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